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ウイスキー「山崎」を育んだ地「山崎」について

では、はじめさせていただきますね。

今年、誕生から101年を迎えたウイスキー「山崎」。

この「山崎」という名前は、大阪府と京都府に隣接した天王山の麓にある土地「山崎」が由来となっています。

山崎蒸溜所ができたのは1923年
その3年後の1926年、谷崎は山崎を訪れ、1933年に山崎が舞台となった『蘆刈』を発表しました。

この時代の山崎の当時の様子が、文豪・谷崎潤一郎の『蘆刈』(あしかり)に描かれています。

作品の一文を抜粋いたしました。

『ちょっと見ただけではなんでもないが立ち止まっているとあたたかい慈母のふところに抱かれたやうなやさしい情愛にほだされる。殊にうらさびしいゆふぐれは遠くから手まねきしているやうなあの川上の薄靄(うすもや)の中へ吸い込まれてゆきたくなる』

山崎は、3本の川の合流地帯となっています。

寿屋(サントリーの前身)創業者である鳥井信治郎が訪れた時も、川面の薄靄を感じたと思われます。その湿潤を感じたからこそ、ウイスキーの熟成場所にふさわしいと思ったのではないでしょうか。

さて、谷崎が山崎を訪れてから25年後の1951年、第45代首相の吉田茂が蒸留所を訪問しています。

5月22日に就任して6月15日に山崎入りしているので、稀に見るスピーディーな行動のように思えます。

スコッチウイスキーに精通していた吉田茂のことですから、首相になる前から寿屋(サントリー)の動向、そして戦後の国産ウイスキーに着目していたのかもしれません。

この25年という間に、日本のウイスキーは「オールド」から「トリス」、さらにトリスバーの誕生と洋酒が一般市民にも知れ渡り、身近な存在になってきたのです。

この動きを見ていると、吉田首相の山崎蒸溜所視察は、洋酒時代の幕開けを物語っているようですね。
 
さて山崎の秋を描いた谷崎潤一郎は1965年に逝去しています。

谷崎が山崎を散策した頃は、まだウイスキーが誕生していないため、作品の中にウイスキー「山崎」はもちろん、蒸溜所の言及もありません。

洋酒を好み、日本のバーに大きな影響力を与えた谷崎なので、国産ウイスキーについてどういう見解を持っているのか、彼の意見はぜひとも聞いてみたかったですね。

ウイスキーのつまみになる話

今回はウイスキー「山崎」を育んだ地「山崎」についてお伝えいたしました。

では、本日はこの辺で。

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