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本日のウイスキーのつまみになる話、テーマはこちら
「ウイスキーを初めて飲んだ日本人はだれ?」


では、はじめさせていただきますね。

今、日本の国産ウイスキーが世界中で高い評価をされています。
そんな日本のウイスキーを初めて作った日本人は、ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝。
「日本ウイスキーの父」ともいわれていますね。

ウイスキー好きならご存知の方も多いかもしれません。


このように「初めて作った日本人」は明確に分かるのですが、
「初めてウイスキーを飲んだ日本人」
になると、話が変わってきまして・・・

初めて飲んだ日本人については
残っている記録や歴史的背景を考えるとこの人ではないか?
という推測を含んだ答えになります。

初めて飲んだ人を考えるうえで、まず、どうしてもぶつかる疑問が1つ。
それは、
日本にはじめてウイスキーを持ち込んだのは誰か
ということ。

歴史をひもとくと、「南蛮酒」と呼ばれる西洋のお酒が日本に伝えられたのは、1543年になります。
種子島にキリスト教の宣教師によって、鉄砲などとともに持ち込まれました。

ただ、こちらはウイスキーではなく赤ワインで、当時は「チンタ」とよばれていました。

では、ウイスキーを持ち込んだのはだれか。
もともとは、三浦按針ではないかといわれていましたが、そういった記載が残っていません。


そして、イギリスの歴史を考えてみても、ちょっと無理があるように思います。
こちらについて詳しくは、また機会があればお伝えいたしますね。

残されている記録を見てみると、ウイスキーが伝えられたのは、江戸時代末期の1853年。
ペリーとともに、ウイスキーも黒船に乗ってやってきました。
この時、スコッチとアメリカンウイスキーが持ち込まれたこと、交渉役の日本人たちにふるまわれたことが記録されています。


ペリーとの交渉に当たった中心メンバーは、幕府の役人である中島三郎助(なかじまさぶろうすけ)と香山栄左衛門(かやまえいざえもん)、通訳担当の堀達之助(ほりたつのすけ)の3人。
ペリーはこの3人を船に招いて西洋料理と飲み物を振る舞っており、飲み物のなかにウイスキーがありました
 
アメリカの記録官によると、この3人はウイスキーが気に入ったようで、
「ことのほか日本の役人は、ジョンバーリーコーン(ウイスキーのこと)がお好きで、着物のふところにハムを詰め込み、酔っ払って真っ赤な顔で船から下りていった。」と記載されています。


ペリーは1854年に再び来航し、日米和親条約が締結されました。

横浜で行われた調印式の様子が描かれた絵は今も残っており、そこにはウイスキーの樽がしっかりと描かれているのです。

アメリカ側の記録によると、そのウイスキー樽は十三代将軍徳川家定(いえさだ)に献上されたようですね。


以上から、記録に残る限り、日本に最初にウイスキーを持ち込んだのはペリー、
そしてウイスキーを最初に飲んだ日本人は、交渉役の3名ということになります。


そこから日本のウイスキーが誕生するまでは、ずっと先になるのです。


ウイスキーのつまみになる話
今回は「初めてウイスキーを飲んだ日本人」についてお伝えいたしました。
では、本日はこの辺で。
またのご訪問お待ちしております。





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